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ハニーテックラボラトリーはハチミツを始め様々なミツバチ生産物を研究する会社です。

TEL. 0126-63-1123

〒072-0006 北海道美唄市東5条北11丁目2−6

養蜂の歴史

ハチミツは天然甘味料の代表として古くから親しまれ、色々な食品の甘味源として利用されてきました。ハチミツと人間のかかわり合いは長く、1924年にスペイン、バレンシア地方のアラニア洞窟で発見された岩壁彫刻にはミツバチの巣からハチミツを採取している風景が描かれています。この岩壁彫刻は、約8000-10000年前のもので、その当時から既に人間はハチミツを利用していたと言われています。

ただし、10000年前からではありませんが古代のハチミツの主な利用法は酒原料であったと考えられています。このハチミツから作られた酒はミード(Mead)と呼ばれ、ワインと並ぶ最古の酒です。

 また、ハチミツは宗教や権力(国家)に関連する場合が多く、1922年にハワードカーター氏によって発見されたツタンカーメン王の墓からもハチミツを入れてあった壺が発見されています。その壺には最高のハチミツとかかれていました。
 実際の養蜂はエジプトの王朝時代にすでに存在し、横に置かれた陶器の壺で行われていました。                                        

                                          
                                            アラニア洞窟の切手
                  
     2400BC Egyptian National Museum Catalogueから



また、紀元前1000年以上も前に燻煙器が使用されていたことも記述されています。

           
                        1450BC

  旧約聖書など宗教関連の書物や神話にもハチミツはたびたび登場しています。下記はコンサイス英英辞典のmilkの部分ですが、milk & honeyという言葉が出ています。この言葉は豊かな国を意味する宗教用語で、旧約聖書の民数記に度々出てきます。

                       コンサイス英英辞典

 

又、日本では『日本書紀』に百済の太子余豊璋が642年の三輪山にミツバチを放したという話があり、これが日本の養蜂の始まりと言われています。日本で養蜂が盛んになったのは、江戸時代の事でその利用方法も薬として使われていたのがほとんどでした。現在のように家庭でごく普通に使われるようになったのは戦後になってからの事です。

             
         ラングストロスが考案した巣箱以前によく使用されていたスケップ

 現在の養蜂の方法は1850年代にアメリカのラングストロスが考案した巣箱と巣枠を利用する方法です。西洋ミツバチでの養蜂は1875年に東京都で当時の明治政府によって始められた。導入種はイタリアン、ラングストロス式巣枠や人工巣礎も同時に輸入されました。

 



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